映画 「私の男」
「自由って飽きる…」
ドーンとネタバレしてます。ご注意。
この映画の中で、テーマ音楽のように使用されている挿入曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」 日本語の歌詞がついた「家路」というタイトルの曲でもある。
・・・遠き山に日は落ちて・・・
今でもこの曲を夕方の定刻に流す市町村があるのではないか。いわゆる「夕暮れのメロディー」として定番の曲だと思う。
二人が幸せに暮らした紋別での八年間。そこで毎日夕方に流れていた音楽。不幸へと転落してしまった後半の東京での八年を描いた部分で流れると、切なく感じるのは、この曲が幸せな記憶と結びついているからだろう。
さらに深読みしてみると、この曲が意味するものは「家族のもとへ帰る」・・・「帰るべき場所は、家族のところしかない」とも解釈できる。
くしゃくしゃにつぶれたタバコの空箱、そのタバコの銘柄は“HOPE” ・・・潰れてしまった希望。
赤いマフラーに赤い傘。
印象的な小道具が何を象徴するものなのか、あれこれ解釈することが可能で、一度ざっと見るだけではもったいない、ある意味手ごわい作品だ。
私は「赤い傘」については原作に近い解釈をした。
恋に落ちたなら、誰でも一度は思うだろう。
互いにとって唯一無二の存在でありたい、この人しかいない、絶対に離れたくない…。
そんな「唯一絶対感」を求めてたどり着いた究極の恋愛が、父娘の禁断愛だった、ということなのだろうか。
なんとおぞましくて、でも、なんとうらやましい世界であることか。
映像と小説とでは表現方法が全く異なることを、映画を覩て改めて実感した。が、映画は小説とは別物と割り切ったとしても、原作を読んでいない観客には難解な作品なのでは。
せめて時間の経過や場所の変化だけでも、もっと解りやすく描いた方がよかったかもしれない。
私の頭がどちらかというと映画よりドラマに親しんでいるせいか、映画ならではの「説明省略・引き算の表現」は難解と感じた。
二回覩たにもかかわらず、たぶん八割くらいしか理解していないだろう。
それでも、禁断愛の世界を堪能出来る作品で、私はとても気に入った。
一言でいえば、親子の「血の絆」を描いた作品だと思う。
この物語の世界は、血の繋がった実の親子でないと成立しない。
この国はまだ、こんな尖った作品を堂々と作れる国だったんだと、ホッとした。まあ、将来はどうなるか分からないが。
父娘の近●相●(自主規制…インセスト・タブーとでもいっておく?)と殺人という過激な素材を静かに描いた暗い映画で、モスクワ映画祭でグランプリを獲得したように、雪と氷に閉ざされた北の国の感性には合った作品なのではないか。
血の色である赤が、非常に印象的に使われている。
二人が交わるシーンで降り注ぐ血の雨。
最後に登場する小道具の赤い傘。
絶対的な絆と確かな繋がりを求めて絡み合う二人。
自分の足元はサンダルばきでびしょ濡れになりながら、娘のために傘だけは忘れない男。落ちぶれて、ちぐはぐで、それでも確かに父親である男。
大人になった娘はいう。
「見ているものが違ったんです、きっと」
親子でも夫婦でも、どんなに長く寄り添って生きたとしても、二人は所詮二つの体と心であって、一つにはなれない。
愛し合ったら一つになれるというのはかなわぬ幻想であるにもかかわらず、愛に生きる人は時にそれを求めてしまう。
愛する者の悲しい性だ。
それでも、そうだとしても、血の繋がった親子なら、愛し合う者たちの理想、願望である絶対的な一体感に、おそらく一番近い関係なのではないか。
だから二人は離れられない。
希望も普通の幸せも失い、まともな世界で生きていけなくなっても、一緒に奈落に落ちる運命から逃れることができないのだ。
けれども、絶望の闇の中で、二人にしか分からない、二人でしか分かち合えない濃い蜜を骨の髄まで味わい尽くすのだろう。
小説より映画の結末の方が、愛の無間地獄ともいうべき世界に落ちていく二人を分かりやすく描いていて、私はそちらの方が好きだ。
映画も原作小説同様、私の趣味嗜好に適った作品で、リピートして損はなかった。
ところで、この作品をテレビドラマにするプロデューサーがいたら、私はその局のエライ人を心底尊敬するだろう。
芸術というのは尖ってなんぼである。下手な自主規制は表現の自由に背を向ける行為であって、制作側が自分で自分の首を絞めるのと同じことである。
倫理だの道徳だのにうるさい保守派に、芸術を語る資格はないのだ。
愛よりもモラルの価値の方が上位にくる、なんて考える人間は、小説を読まなくていいし、映画も覩なくていい。
そういうお堅い人も一定の人数いた方が社会にとっていいとは思うが、芸術の世界には口を挟むなって。
まあ、昨今バカな法律もいろいろ出来たり、この国の芸術の未来は暗いと思われるので、一言言っておきたくなっただけである。あしからず。
最後に、文化後進県の当地で、この映画を上映してくれた映画館に心から感謝します。
…あと一回、リピートしちゃおうかなぁ。…
ドーンとネタバレしてます。ご注意。
この映画の中で、テーマ音楽のように使用されている挿入曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」 日本語の歌詞がついた「家路」というタイトルの曲でもある。
・・・遠き山に日は落ちて・・・
今でもこの曲を夕方の定刻に流す市町村があるのではないか。いわゆる「夕暮れのメロディー」として定番の曲だと思う。
二人が幸せに暮らした紋別での八年間。そこで毎日夕方に流れていた音楽。不幸へと転落してしまった後半の東京での八年を描いた部分で流れると、切なく感じるのは、この曲が幸せな記憶と結びついているからだろう。
さらに深読みしてみると、この曲が意味するものは「家族のもとへ帰る」・・・「帰るべき場所は、家族のところしかない」とも解釈できる。
くしゃくしゃにつぶれたタバコの空箱、そのタバコの銘柄は“HOPE” ・・・潰れてしまった希望。
赤いマフラーに赤い傘。
印象的な小道具が何を象徴するものなのか、あれこれ解釈することが可能で、一度ざっと見るだけではもったいない、ある意味手ごわい作品だ。
私は「赤い傘」については原作に近い解釈をした。
恋に落ちたなら、誰でも一度は思うだろう。
互いにとって唯一無二の存在でありたい、この人しかいない、絶対に離れたくない…。
そんな「唯一絶対感」を求めてたどり着いた究極の恋愛が、父娘の禁断愛だった、ということなのだろうか。
なんとおぞましくて、でも、なんとうらやましい世界であることか。
映像と小説とでは表現方法が全く異なることを、映画を覩て改めて実感した。が、映画は小説とは別物と割り切ったとしても、原作を読んでいない観客には難解な作品なのでは。
せめて時間の経過や場所の変化だけでも、もっと解りやすく描いた方がよかったかもしれない。
私の頭がどちらかというと映画よりドラマに親しんでいるせいか、映画ならではの「説明省略・引き算の表現」は難解と感じた。
二回覩たにもかかわらず、たぶん八割くらいしか理解していないだろう。
それでも、禁断愛の世界を堪能出来る作品で、私はとても気に入った。
一言でいえば、親子の「血の絆」を描いた作品だと思う。
この物語の世界は、血の繋がった実の親子でないと成立しない。
この国はまだ、こんな尖った作品を堂々と作れる国だったんだと、ホッとした。まあ、将来はどうなるか分からないが。
父娘の近●相●(自主規制…インセスト・タブーとでもいっておく?)と殺人という過激な素材を静かに描いた暗い映画で、モスクワ映画祭でグランプリを獲得したように、雪と氷に閉ざされた北の国の感性には合った作品なのではないか。
血の色である赤が、非常に印象的に使われている。
二人が交わるシーンで降り注ぐ血の雨。
最後に登場する小道具の赤い傘。
絶対的な絆と確かな繋がりを求めて絡み合う二人。
自分の足元はサンダルばきでびしょ濡れになりながら、娘のために傘だけは忘れない男。落ちぶれて、ちぐはぐで、それでも確かに父親である男。
大人になった娘はいう。
「見ているものが違ったんです、きっと」
親子でも夫婦でも、どんなに長く寄り添って生きたとしても、二人は所詮二つの体と心であって、一つにはなれない。
愛し合ったら一つになれるというのはかなわぬ幻想であるにもかかわらず、愛に生きる人は時にそれを求めてしまう。
愛する者の悲しい性だ。
それでも、そうだとしても、血の繋がった親子なら、愛し合う者たちの理想、願望である絶対的な一体感に、おそらく一番近い関係なのではないか。
だから二人は離れられない。
希望も普通の幸せも失い、まともな世界で生きていけなくなっても、一緒に奈落に落ちる運命から逃れることができないのだ。
けれども、絶望の闇の中で、二人にしか分からない、二人でしか分かち合えない濃い蜜を骨の髄まで味わい尽くすのだろう。
小説より映画の結末の方が、愛の無間地獄ともいうべき世界に落ちていく二人を分かりやすく描いていて、私はそちらの方が好きだ。
映画も原作小説同様、私の趣味嗜好に適った作品で、リピートして損はなかった。
ところで、この作品をテレビドラマにするプロデューサーがいたら、私はその局のエライ人を心底尊敬するだろう。
芸術というのは尖ってなんぼである。下手な自主規制は表現の自由に背を向ける行為であって、制作側が自分で自分の首を絞めるのと同じことである。
倫理だの道徳だのにうるさい保守派に、芸術を語る資格はないのだ。
愛よりもモラルの価値の方が上位にくる、なんて考える人間は、小説を読まなくていいし、映画も覩なくていい。
そういうお堅い人も一定の人数いた方が社会にとっていいとは思うが、芸術の世界には口を挟むなって。
まあ、昨今バカな法律もいろいろ出来たり、この国の芸術の未来は暗いと思われるので、一言言っておきたくなっただけである。あしからず。
最後に、文化後進県の当地で、この映画を上映してくれた映画館に心から感謝します。
…あと一回、リピートしちゃおうかなぁ。…